ケーブルカー(1形)
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 箱根と熱海の境目に位置する十国峠は、東は安房から西は信濃まで、まさに「十国」を眺めることができることからその名がつけられている。この峠へのアクセス道路となっている現在の静岡県道20号線は、伊豆箱根鉄道の前身である駿豆鉄道の手により1932年に有料道路として開通し、以来展望台の新設など、駿豆鉄道の手で開発が進められた。戦後、展望台へのアクセス向上を目的に、有料道路に面したレストハウスと展望台を直結するケーブルカーを敷設することとなり、前述した駿豆鉄道により1956年に十国鋼索線として開業した。レストハウス側の十国登り口駅と山頂側の十国峠駅の間、全長320m程の短い路線で、直線状に結ばれているため、晴れている時は双方の駅を望むことができる。なお、本路線の巻上機は戦中期に路線廃止となった妙見鋼索線の上部軌道で用いられたものが流用されている(本来供出されるはずであったが、終戦により供出は免れている)。妙見鋼索線は下部軌道、上部軌道とも標準軌で敷設されており、それ故機器を流用した本路線も標準軌が採用されている。日本のケーブルカーで標準軌を採用している路線は妙見の森ケーブルと本路線のみであり、その点は希少な存在である。駿豆鉄道は1957年に伊豆箱根鉄道と社名変更され、以来同社による運営が続いた。その後2021年に運営が伊豆箱根鉄道から分社化された十国峠株式会社に移行し、翌年に同社が富士急行の子会社になったことで、本路線は西武グループから富士急グループに転じた。因みに十国峠は、一般的な読み方と異なり「じゅっこくとうげ」と読む。

 現在使用されている車両は1956年の開業に合わせて日立製作所で製造されたものであり、即ち現在に至るまで一度も車両交代が行われていない。駿豆鉄道、伊豆箱根鉄道では1形と呼称されており、1号車に「日金(十国峠の位置する山の名前)」、2号車に「十国」という愛称がつけられた。前面2枚窓かつ2枚折り妻で、上部中央に前照灯が取り付けられた造形となっており、同時期に製造されたケーブルカー車両の中ではオーソドックスといえるスタイルである。ただし、尾灯は上部から突き出るように設置されており、これは他のケーブルカーにはあまり見られないものである(尾灯の位置は登場時と現在で異なっている)。車体長は8.5m弱と比較的小型で、乗車定員は96名である。塗装は当初「日金」が白と青のツートンカラー、「十国」が白と赤のツートンカラーで、いずれも前面の塗分けは所謂「金太郎塗り」となっていた。車内はボックスシートで ケーブルカーとしては極めて一般的な内装である。側扉は折り戸で自動化されている。側扉上の鴨居部の部分にも採光用の窓が設けられているが、天窓の類は備えられていない。本車は日本のケーブルカーとしては珍しく、三角型のつり革が設置されており、立ち客に配慮し、異なる長さのものが互い違いに配されている。後年の改造か、前照灯や尾灯、室内灯のスイッチに家庭用のスイッチが採用されており特徴的と言える。塗装は長らく前述のツートンカラーだったが、西武グループの共通カラーリング(所謂「ライオンズカラー」)導入後は同塗装に塗り替えられた。その後は2010年代中期までライオンズカラーを維持し、その後一度の塗装変更を経て2017年以降は登場当時の塗装をベースに車体中央部に富士山が描かれた現行塗装となっている。

 2022,08,18 十国峠


■Variation
 1号車を麓側からのぞむ。灯具配置や窓配置は山上側と変わらないが、こちら側の方が前に突き出したような印象を受ける。

 2022,08,18 十国登り口
 2号車の「十国」。こちらは赤と白の2色塗装となっている。

 2022,08,18 十国峠
 2号車を麓側からのぞむ。

 2022,08,18 十国登り口
 伊豆箱根鉄道時代のケーブルカー。長らくの間白地に赤、青、緑帯を巻いた所謂「ライオンズカラー」となっていた。こちらは2号車の「十国」で、愛称表記のみオリジナルの赤色を堅持していた。

 2014,07,27 十国峠
 伊豆箱根鉄道時代のケーブルカーを麓側からのぞむ。1号車も同様、愛称表記の部分が青色となっていた。

 2014,07,27 十国登り口
2022/08/29