60系
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 60系は1969年の堺筋線開業に合わせて製造された、堺筋線の初代車両である。堺筋線は当初より阪急電鉄との相互直通運転を行い、検車区も阪急京都線沿線に設けることが決定していたことから、大阪市営地下鉄の車両では初めて架空電車線方式が採用された。車体はオールアルミ製で当時製造されていた30系をベースとするが、車体寸法は直通先の阪急3300系にあわせ、全長18.9mの片側3扉車体となった。前面は中央に貫通扉が設けられている点こそ一般的なものだが、前照灯・尾灯とも上部に配置し、行き先表示器と尾灯は大型の窓ガラスに内包されるという、当時としては目新しいデザインとなっていた。阪急線内に踏切があることから窓下は警戒色を兼ねて臙脂色に塗装され、方向板用のフックが取り付けられた。制御方式は抵抗制御方式で、補助電源装置には静止型インバーターが採用されたが、地下鉄車両としては都営6000形に次ぐ2例目の採用となった。台車は阪急3300系にあわせ大阪市交通局では初めてS型ミンデン台車が採用されている。車内はオールロングシートで、同時期に製造された30系に準じた内装となっていた。即ちFRP製座席枠にビニールレザーを張った座席であったが、60系では座面のみセパレートタイプとなっていた車両も存在している。いずれも後に通常のモケット張りの座席に換装された。当初は全車非冷房であったが、大阪市営地下鉄の車両としては初めて暖房装置が搭載されている。60系は当初5連18本が一気に製造されたが、車両新造はこの一度のみであり、その後の編成増強(5→6連、6→8連)に際しては編成替えのみで対応した。堺筋線開業の翌年に開催された大阪万博では、直通先の阪急千里線とあわせ大阪市内と万博会場を結ぶメインルートの一翼を担い、万博輸送に大きく貢献した。なお、1970年には鉄道友の会のローレル賞を受賞している。その後、1975年のラインカラー制定後は臙脂色部分が茶色に変更された他側面にも茶色の帯が巻かれ、同時期にフックが撤去されている。輸送力増強に伴い1979年には5連18本から6連15本へと編成替えがなされており、同時に一部車両の中間車化や車番変更等も行われている。昭和〜平成初期にかけて堺筋線の主力車両として活躍してきた同形式だが、直通先の阪急の車両で冷房化が進んだ後も非冷房のまま存置されたことで乗客の不評を買うようになった。そのため一部の車両については1990年から冷房化が開始され、合わせて化粧板やモケットの換装、車いすスペースの設置も行われた。同時期には後継の66系の製造も開始され、堺筋線の冷房化率向上につながっている。非冷房で存置された車両は1992年より66系への置き換えで廃車が始まったが、1993年の堺筋線延伸を機に8両編成化がなされることになり、60系は余剰車を除き8連9本に組み替えられた。組み替え当初は冷房車・非冷房車とも混用されたが、更なる66系の追加投入に伴い非冷房車は1995年までに廃車され、冷房化されていた8連4本が引き続き残された。残存車は21世紀を迎えるまで活躍したが、66系の改良車を投入することで本形式を淘汰することになり、2003年までに全ての編成が置き換えられて廃車された。1994年に廃車された6014号車のみ森之宮検車場にて静態保存されており、その姿をとどめている。なお、当初は引退当時の姿で保存されていたが、2013年に登場時に近い姿に復元され、正面が臙脂色に塗装された他、正面のフックも再度取り付けられている。

 2019,05,04 森之宮検車場