ラクテンチケーブル
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 JR別府駅からおよそ2q程離れた立石山には、「ラクテンチ」という名の遊園地が存在する。麓側の入口と遊園地のある中腹の間は標高差が120m以上も違うため、移動手段としてケーブルカーが運行されている。園内の遊具という扱いではなく鉄道事業法に基づく鉄道であり、ラクテンチが当初「別府遊園」という名で開園した1929年より運行されている、由緒ある鋼索線である。路線長は凡そ250m程と非常に短いが、前述のとおりその距離で120m以上の標高を上るため、非常に傾斜が強いのが特徴であり、最緩勾配でさえ48%と場所によっては他の鋼索線の最急勾配以上の傾斜となっている。この路線は全線がラクテンチの園内に位置するため、通常はラクテンチの入場券がないと乗車できないが、山上の乙原地区にも住宅があり、同地区の関係者や従業員向けの乗車券もあるため、その意味では生活路線としても体を成しているといえる。戦前から遊園地を訪れる人の足となっていた同線だが、他の鋼索線の例に漏れず1944年に不要不急線として休止され、あわせてレールが供出された。1950年に別府鋼索鉄道によって営業が再開され、再び遊園地を訪れる人の足として機能するようになった。1954年からは別府国際観光による運営となり、1974年には車体が更新される等の変遷を経ながら21世紀を迎えたが、地方の遊園地が軒並み衰退する中でこのラクテンチも来園者数が減少し、改善を図るべく2003年に遊具メーカーの岡本製作所に経営が渡った。2004年には「ワンダーラクテンチ」という名前となりケーブルカーの塗装・愛称変更もなされたが、来場客の減少には歯止めが効かず、2008年には再度の営業停止・廃業の危機が生じた。一度は他社への売却が決まるも結局白紙となり、2009年からは再び岡本製作所によって営業が再開されることとなり、同時にケーブルカーの再度のリニューアルがなされた。しばらく岡本製作所による運営が続いたが、2018年からは会社分割により成立した株式会社ラクテンチによる運営に変わり、現在に至っている。

 現在使用されている車両は、車体は1974年にアルナ工機で製造されているものだが、台車については1950年の路線復旧時に製造された車両のものを流用しているため、その点は国内に点在する鋼索線車両の中でも最古のものである。制動装置には車両の回転軸をバネに伝達させ、それにより制動子が線路の両側を掴んで制動が作動するというギーセライベルン式が採用されている。前述した路線特性のため、一般的な平行四辺形状ながら非常に傾斜のある特徴的な外観となっている。元々は眺望性が重視されたデザインであり、前面は大型2枚窓が採用され天井には天窓が取り付けられていた。当初は前照灯・尾灯は窓下にあり、麓側は中央に通風口が取り付けられていた。側窓は全て2段窓だが、傾斜のために隣接する窓の高さが窓一段分異なっている。また、側扉は外吊り式の自動扉となっている。集電装置は1両につき4か所設置されているが、その形状は他の車両ではあまり見られない珍しいものとなっている。車内はケーブルカーとしては一般的なクロスシートだが、丸形の手すりが2009前述する車両特徴から車内の段差が非常に急であり、座席の背ずりも低い部分と非常に高い部分に分かれている(なお、後者についてもモケットは低い背ずりと同じ高さにしか貼られていない)。年の営業再開にあわせて近鉄コ11形にも似たFRP製の犬と猫の動物型マスクが取り付けられており装いを一新しているが、あくまでこれは既存の車体に接合しているだけであり、車内からはその様子がうかがえる。また、通風口や既存の前照灯が覆われてしまっており、灯具については新たに上部に設けられた。更に同車の特徴の一つでもあった天窓はこの改装時に埋められている。2010年には愛称がつけられ、犬型車両(1号車)は「ドリーム」、猫型車両(2号車)は「メモリー」という愛称がつけられた。現在もこの姿で使用されており、園内輸送に従事されている。

 2015,08,24 雲泉寺(ラクテンチ下)


■Variation
 1号車「ドリーム号」の麓側は、なぜかサッカーボールを持った姿がかたどられている。

 2015,08,24 雲泉寺(ラクテンチ下)
 2号車「メモリー号」は猫をモチーフにしたマスクが取り付けられている。正面窓の上には赤いリボン、下部には鈴付きの首輪がかたどられており、招き猫のような恰好をしている点が特徴である。

 2015,08,24 雲泉寺(ラクテンチ下)
 麓側からみた2号車。1号車と異なり基本的には山頂側と造形は同一となっている。

 2015,08,24 雲泉寺(ラクテンチ下)
2021/11/24