313形
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 313形は1952年に近畿車輌で製造された通勤型車両である。既に天神大牟田線に投入されていた300形の増備車両という位置付けであり、車番が300形からの続番で振られたことにより形式が313形となったが、その車体は従来車とは大きく異なるものとなった。この313形は近畿車輌が鉄道車両へのモノコック構造を導入するにあたっての試作的役割を持っており、それまで航空機の工法の一つであったモノコック構造が日本の鉄道車両として初めて応用されている。同車で採用された成果が東急5000系や国鉄の一連の新性能車両、更には新幹線などにも応用されているため、同形式はその嚆矢として、鉄道史に色濃く残る鉄道車両という事ができる。当初の駆動方式は釣り掛け駆動であり、新造車としては最後の釣り掛け駆動車両となっている。2連4本、8両の陣容で営業運転を開始した313形は、登場時は茶色一色、後にクリームと茶色のツートンカラーとして当初は天神大牟田線で使用された。しかし非貫通構造の2両編成で増結運用等での使い勝手が今一歩劣ることから大宰府線などに追いやられ、5000形の増備が進行した1977年に、全車とも当時の宮地岳線へと転属している。宮地岳線ではオキサイドイエロー地にボンレッド帯に変更され、1980年のワンマン化改造や1984年の車体更新、更には1987年の冷房化などのを経ながら現在の形態へと近づいている。尚、車体更新までは片側2扉であったが更新の際に中間扉を増設して3扉となった。この改造に際しては前後扉の移設を伴わなかったため、結果として扉の間隔が不揃いとなっている。また冷房化にあたっては屋根・床材の交換など車両強度を高める改造も行われている。その後1992年には3編成が西武鉄道の廃車発生品を流用して高性能化され、それまでの1M1Tから2Mへと改められた(ただし貝塚方は0.5Mとなっている)。釣り掛け駆動のまま残った314Fを含め製造から50年以上たっても全車が在籍していたが、2007年の西鉄新宮〜津屋崎間の廃止と前後して3編成が廃車され、残るはカルダン駆動の315F1本のみとなった。最後に残った315Fはその後パンタグラフの換装(下枠交差型に変更)や車外ベルのスピーカーへの変更、転落防止用幌の増設や車内への車椅子スペースの設置など、更なる変更を経ながら2015年に至るまで活躍を続けていた。多数派の600形とは運用が共通であり、引き続いて貝塚線で使用されていたものの、車体の製造から60年以上経っており老朽化は進んでいたため、モエ900形を旅客用に復元した600形に置き換えられることになり、2015年1月に惜しまれつつ現役を引退した。尚、同編成は2014年5月より旧塗装に復元されており、最後の花道を飾った。

 2013,03,18 西鉄千早