ヨ2000形
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 ヨ2000形は1937年から翌年にかけて100両が製造された車掌車である。それまでの車掌車は木造客車の改造によりあてがわれていたが、本系列は純然たる車掌車としては初の新造車となった。車体は1933年以降に製造された緩急有蓋車であるワフ21000形に準じた半鋼製車体となったが、鋼製車体の採用も車掌車では初めてであった。ワフ21000形の車掌室部分をベースに、荷室部分も含めて全て車掌室とした設計で、両端にデッキを備えており、そのデッキ部分は丸棒で仕切られている。登場当初はワフ21000形と同じく尾灯は可搬式のものを都度搭載しており、常設の尾灯は鋼板と共に後からの搭載となる。乗り心地を向上させるため軸距は4200mmと客車改造の車掌車よりも伸ばし、更に走り装置には当時の客車に似た長スパンのバネを搭載した。当時の走り装置は一段リンク式で、最高時速は65km/hとなっていた。車内は小口輸送にも考慮し3名の車掌乗務を考慮した執務スペースが設けられた。本形式の時点で車掌車は一つの完成形に到達したといえ、戦後に製造されるヨ3500形からヨ6000形に至るまで、本車の車体をベースに製造されている。もっとも戦後製の車掌車と比べると本形式は照明が石油ランプかつストーブを備えていない等設備面で見劣りがしたため、戦後に車軸発電機と蓄電池を搭載することで車内照明を電灯に改め、同時に石炭ストーブを追設している。更に所謂「ヨンサントオ」のダイヤ改正で大半の貨物列車に着いて速度向上が図られることから、1967年以降台車構造を2段リンク式に改造したことで、最高時速はそれまでの65km/hから75/km/hに向上した。現役最末期には蓄電池容量の増大化、一部の車両が石炭ストーブから石油ストーブに換装される(石油ストーブ搭載の車掌車は識別のために白帯がデッキ仕切りと側面に配されたが、本形式はデッキ仕切りが丸棒であり白線を引くに適さないことから、尾灯上の鋼板部分に白帯が配された)等、後継形式に伍した各種改造が施されており、戦前製の車掌車ながら一部は車掌車連結が廃止となる間近の1985年まで使用された。廃車後はヨ2047号車が加悦SL広場に貸与され、同地で長い間保存されていた。

 2013,07,20 加悦SL広場


2023/07/19