EF57形
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 1940年登場。東海道線における旅客列車牽引を目的に製造された電気機関車で、戦前に新規製作された最後の電気機関車である。1号機はもともとEF56形の増備型として製造が計画されたものの、新開発された高出力の電動機を備えたことから形式が変更された経緯があり、その外観はEF56形後期車と大差ない、箱型の角ばったデッキ付車体の機関車であった。2号機以降も角型デッキ付車体である点に変わりはないものの、蒸気暖房装置で用いられる煙突を避けるように大きく突き出したパンタグラフをはじめ側面形状に至るまで外観が大幅に変更されており、中でも突出したパンタグラフは他の機関車には見られない特徴的なな外観で、同機を特徴づける重要なファクターの一つと言える。後の東海道線電化進捗時には、パンタグラフ高さの抑制を目的に、アウトリガーを取り付けてまで更にパンタグラフの位置を前進させ、更に特異な姿となっている。EF57形は1943年までに15両が製造されたが、最重要幹線の旅客列車牽引機であり輸送に支障の内容にする背景もあったが故に、戦中製ながらD51形のような「戦時型」と呼ばれる製造工法を簡略化した車両は存在せず、当時の花型車両として優等列車を中心に使用され、戦後はEF58形の台頭まで特急列車をはじめ花形列車の牽引にあたった。戦後、電化工事の進捗に伴い前述の改造が2号機以降に行われた他は引き続き東海道線で使用されたが、流線型車体の改良型EF58形が戦後台頭すると東海道線の運用を離れ、高崎・上越線を経て東北本線へと転じている。尚、高崎への転属に合わせて前面窓につらら切りがつき防雪対策が施され、また新たに電気暖房装置を搭載し蒸気暖房装置用の煙突が撤去される等の変更点も生じている。戦時中機関車の花形であったEF57形は、EF58形等に混じって最後まで旅客列車を中心に使用されたものの、製造から30年を過ぎると状態不良となる車両も現れ、1975年からは転属してきたEF58形に置き換えられていき1978年までに全車廃車されている。EF57形の「無骨」とも言われるスタイルは優美な形態のEF58形とはまた違った趣があり、晩年は鉄道ファンの間でブームをも引き起こしている。現在は7号機のみ宇都宮駅東公園に静態保存されており、量産機の象徴だった特異な外観を今に伝えている。

 2013,01,01 宇都宮駅東公園