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神戸市電の700形は、1935年以降に500形の機器を流用し車体を新製して登場した形式で、全車長田車両工場により改造・製作されている。全長13.6m、側扉前後配置の鋼製車体で、それまでの市電車両が直線基調で比較的重厚な印象であったものが、本形式では曲線を強調したデザインとなり、半流線形の前面や張り上げ屋根、リベット打ちの廃された車体など、従来の車両とは一線を画する軽快な形状となった。側窓は幅1100o、高さ1150oという大型2段窓が採用されており、眺望性の向上の他、曲線基調の車体とあわせ軽快な印象を引き立てている。外装はそれまでのグリーン一色から濃淡グリーンのツートンカラーに改められ、これが以降の神戸市電の標準塗装となった。機器類は500形からの流用で、特に初期の20両は動輪と従輪で大きさが異なるマキシマム・トラクション台車を種車から引き継いで搭載するが、この車輪を初めて弾性車輪として、騒音の低減が図られている。戦後PCCカーの導入で日本でも弾性車輪を導入した車両が増えるが、その嚆矢は本系列にあると言って過言ではない。車内は路面電車車両としては極めて異例といえるオール転換クロスシートで、乗降扉付近を1人掛け、それ以外を2人掛けとした。ロングシート主体となる路面電車でクロスシートの存在は近年まで比較的珍しく、まして転換クロスシートの採用事例は神戸市電を除くと戦後の名古屋鉄道(モ510・520形及びモ600形)程度であり、戦前期という時勢において、接客設備としては破格といえるものであった。2人掛けクロスシートを「ロマンスシート」と呼称したこともあり、本形式は「ロマンスカー」と称されるようになり人気を博した。車内照明はすずらん灯を模した乳白色のガラスグローブで覆った電球、床はリノリウム張り、吊り革はリコ式吊り手を採用し、更に側扉は完全自動化(自動扉自体は1932年製の600形で既に採用実績があった)と、座席以外のアコモデーションも当時の数歩先を進むものであった。このように内外装、性能とも戦前製の路面電車車両として最高峰であるどころか戦後製の車両をも凌駕しており、それを自局工場で製作していた点は特筆に値する。1935年12月より営業運転を開始した700形は、当時東洋一と謳われた神戸市電の花形車両として君臨した。1938年までに40両の陣容となったが、初期の20両は500形のうち木造車体を有したE車グループ、後期の20両は半鋼製車体を有したI車グループからの改造となっている。華々しいデビューを飾った本形式ではあったが、1937年からは日中戦争の勃発に伴い戦時輸送色が強くなっていった他、1938年には神戸大水害で早くも被災された車両も存在した。また、戦時輸送中はクロスシートは不向きであり、早々にロングシートに変更され(吊り革も通常の吊り手に変更)後述の705号車を除き内装は復元されなかった(その後転換クロスシートは1953年に製造された750形2次車で復活するが、これも早々にロングシート化されている)。1945年6月の神戸大空襲では車庫の消失に伴い本形式も18両が全焼しており、大きな被害を受けている。戦禍を免れ戦後まで残った車両は、一部車両の台車交換(一般的なブリル台車への換装)、集電装置のビューゲルへの変更、固定窓のHゴム固定化などの変遷を経つつ、後継車両に伍して主力車両の一翼として活躍した。神戸市電の路線縮小が始まった1968年から廃車が始まり、市電全廃を待たず1970年には全車廃車され、最後までワンマン化改造は施されなかった。廃車後、705号車は750形からクロスシート、帝都高速度交通営団からリコ式吊り手、京阪からダブルポールを譲受の上で登場当初に近い姿に復元され、市電廃止時には大丸神戸店前で展示された。市電廃線、地下鉄開業後は名谷駅構内での保存を経て、現在は800形808号車とともに名谷車両基地内に設けられた保存庫で保存されている。
2018,09,24 名谷車両基地 |